いらっしゃいませ。
12月のお休みは少し変則的になりますので、ご注意ください。12月は毎週水曜と木曜の他に、3日(火)、31日(火)もお休みとなります。3日は思い切って店舗を閉めて、コーヒーの研修に行って参ります。上旬は豆をお買い上げする機会が少なくなってしまい、大変申し訳ありません。どうか、ご了承くださいませ。
LINEですべて事を済ます。年賀状は印刷100%、直筆0%。自然素材を見事に無視した住宅施工。例えに過ぎませんが、これらすべてに言えることは、費やす時間と労力の節約、いわゆる効率化だと思います。
あらゆることを効率化することによって、私たちは一定した時間内において、多くのことをこなせるようになりました。これはこれで、とても素晴らしいことだと思います。しかし、同時に、物事を深く捉える感性が薄れていくと考えるのは私だけでしょうか。寂しいことはこの効率性だけを求めると、考え方が画一化され、ときには「右ならえ」で同調圧力も生じ、「個」の魅力を感じる余裕が失われることだと思います。
お客様と接していると、簡単に手っ取り早く、しかも美味しくコーヒーを飲むにはどうすればよいか、よくご質問を受けますが、私はそれ以前に、大事なマインドがあるのではないかと考えております。それは「いかに非効率を楽しめるか」ということ。わざわざ身支度をしてコーヒー豆を調達し、道具をセットして、コーヒー豆のグラム数を計って、挽いて、美味しくなれとブツブツ唱えながらドリップして、その儀式が終わったら道具を洗って…。少なからず時間と労力を費やすことになります。缶コーヒーやコンビニのコーヒーが存在するなかで、ただコーヒーを飲むということをゴールとするならば、自分でコーヒーを淹れることほど非効率なことはありません。
そう考えると、自分でコーヒーを淹れるということは、一種の「遊び」とも言えませんか。遊ぶこと自体に効率的か否かを考える人なんか少なく、そもそも遊び=非効率だから、楽しみやロマンがあるはず。サンタさんもわざわざ自分がプレゼントを届けるから遊び心やロマンがあるのであって、彼は決して着払いで一斉発送しません。
なぜ、いい大人にも遊びが必要なのでしょう。おそらく大人は、仕事から家事に至るまですべてを効率的に動いているため、自分の中の何かが伸び切っていつか切れてしまわないよう、どこかで遊び(非効率)を取り入れ、均衡を保っているのではないでしょうか。だから、コーヒー好きの大人は、自分でコーヒーを淹れるのだと思います。
コーヒーを淹れることに対して面倒くささを感じず、非効率を楽しむくらいの気持ちで続けていけば、コーヒー農園ごとの魅力、いわゆる「個」の魅力を深く感じることができます。その他にも、自然と一家団欒の時間が増えたり、人をもてなす自信がついたり、疲れた脳みそが自動更新されたり。自分でコーヒーを淹れるという非効率は、多くの副産物や気づきを与えてくれます。
Fast food, Fast building, Fast communication, この真逆も似たようなことが言えるのかもしれません。
日常のわずかな非効率。これからの時代、ますます大事になるような気がします。
Lover’s Coffee