「そのはじいた豆は、どうしているんですか」。
営業時間中、私はいつものように焙煎豆の選別作業をしていたところ、ある若い男性のお客様から声を掛けられた。
「香りだけは良いため、コーヒーの香り袋にしていますよ」。とっさに答えたが、最近はそんな加工をしている余裕も無いため、半ば嘘の返答であった。心苦しさは感じつつも、実際はゴミ箱行きになることが多い。
やはり、実情を正確に伝えないと自分の心が汚れると思い、私は白状するかのように付け加えた。「いや、最近は捨ててばかりです」と。
「それならば、私にその豆を預けてくれませんか」。彼はそう言い、自分の素性も明かしてくれた。彼は会津若松市の隣町である会津美里町在住で、先祖から14代続く農家の若き跡取りであった。米や菊の出荷が主で、野菜も少量多品目で作っておられる。彼はうちの常連さんであったが、ずっと名前を伺えずにいた。私は、彼が間舩(まふね)さんとおっしゃることを、この日初めて知ったのだった。
私は白状を続けた。「実は、試飲サービスの際、ドリップの出しがらが大量に出るんです。それもゴミ箱行きです」。もう少し恥じるように言えばよかったと気づいた瞬間、「それも全部ください」と要望が即返ってきた。私と彼との間に、会話のリズムが生まれてきた。
彼はこう続ける。「私は堆肥づくりのために、以前からコーヒーかすを実験的に取り入れ、野菜作りに役立てています。そのためには量が圧倒的に足りないので、ぜひ頂きたい」と。私はそれを快く受け入れたことは言うまでもなく、この日のうちに農園見学の約束まで取り付けたことは自然な流れであった。
とにかく驚いた。私は野菜作りに関してまったくのド素人であるため、農園の様子など見るものすべてが新鮮であるのだが、何といっても彼の堆肥づくりに関する専門知識の量に圧倒された。
多くの方が誤解してしまうが、コーヒーの粉単体では肥料にはならない。それ自体は栄養がないため、微生物が豊富に住み着く状態に変化させなければならない。もし、コーヒー粉単体を土に蒔いてしまうと、逆に作物の発育不良に陥ってしまうらしい。
彼がこのときコーヒー粉と一緒に混ぜていたものは、もみ殻や腐葉土、米糠、納豆菌、自生の微生物(畑の土)。これらを混ぜた状態で2か月間寝かせる。この期間内に空気を遮断して嫌気性発酵を、そこから段階的にかき混ぜながら空気を取り入れて好気性発酵を促したりと、彼は温度計などを確認しながら計画的に作業を実行していく。
コーヒー粉を堆肥づくりに取り入れることで、いったいどんな効果があるのか。彼が今の段階で実感していることを、私にも分かるように教えてくれた。一つ目は、植物の生育が良いこと。定植をすると、それは顕著にわかるらしい。二つ目に、生育が安定し収穫期が長くなること。これは彼が最も驚いている点である。今年のスナップえんどうは例年より長く収穫できたようだ。そして三つ目に、土がふかふかすること。コーヒー豆には「多孔質」という性質があるため、空気や水分が適度に土に入り込み、根が張りやすい。
補足すると、工業的な肥料だけの場合、突発的な力はあっても持続力がないらしい。そこに自然肥料を加えることで、緩やかで持続的な効果を得られるようだ。要は土の栄養のバランスが格段に良くなる。追肥や消毒が増えることは、コストや手間、リスクが増えることになるが、それらも解決に繋がるというのだ。
私は、こんなにも勉強熱心な農家さんに声をかけてもらえて、大変幸運である。私たちが思い描く秘かな野望。それは、近い将来、うちが各ご家庭のコーヒー粉をお預かりする窓口となり、それをまとめて彼にお渡し。彼が堆肥づくりを施したあと、専門機関による成分検査で数値を明らかにし、それを家庭菜園用の堆肥としていつか販売したいのだ。
これには課題がいくつかある。ドリップ後のコーヒー粉は湿っているため、それをご家庭で山積みにして放っておくと、カビが生えてしまう。だから、うちへ持って来ていただく際、お客様自身が事前にコーヒー粉を広げて乾燥させるという作業が必要になる。お客様のひと手間なしには実現しない。ましてや、この堆肥を販売する気なら、量が不可欠だ。そして、1番の課題。それは、堆肥づくりという肝となる作業を、間舩さんの手と作業場だけで行うことは、とてつもない負担となってしまうこと。彼にも米や菊の栽培といった大事な本業がある。
だから、この活動は焦らずゆっくりと進める必要がある。まずは、営業中に排出されるコーヒー粉を乾燥させては預けるという作業をうちは根気強く続け、毎回間舩さんに研究結果を明らかにしてもらう。ちなみに、現在、店頭で彼の作る野菜が買えるため、一度お求めいただきたい。彼の存在を知ってほしいし、純粋にとても美味しいから。
最後に、この実験段階の期間がかれこれ2か月続いている中で、ひとつの気づきが。この活動は、お互いの手や服が汚れるし、地味な作業この上ないのだが、なぜだか心地よい。それは、店や各個人が「明確な役割を果たしたい」という根源的な欲求なんだと思う。きっと、間舩さんも同じように感じているんじゃないかな。
Lover’s Coffee