お客様にお伺いしたいことがございます。当店がコーヒー豆用として使用しているパッケージのデザインについて、どんな印象をお持ちでしょうか。
そもそも、この質問をしたきっかけは、コーヒー豆やお茶用のパッケージデザインを特集しているある本との出会いです。その本の中身によると、「パッケージは期待感を生み、味わおうとしているものに対する意識を高め、全体としての体験を向上させることができる。」また、「パッケージには美と質が凝縮されている。そのビジュアルが製品について語り、わたしたちの脳が反応する。繊細で巧みな、よりつくり込まれたデザインほど、商品そのものを正確に表すのだ。」とあります。
改めて自店のパッケージを見返すと、そのデザインはシンプルで主張は控えめ。派手なことを好まない店主の性格そのものを無意識に表しているとも言えます。推測ですが、当店のコーヒー豆用パッケージは、百貨店やセレクトショップの棚に並べられたとしても、多くの方に手にして頂けないのではと思います。「ジャケ買い」を誘うような人々の目に留まるデザインでもありませんし、「○○氏監修」や「グットデザイン受賞」、「モンドセレクション受賞」など、選択の後押しとなる単語は一切ございません。不確かな情報の下、得体の知れないお店の商品に対して、人はお金を払わないと思います。
それならば、もっと華やかにか格好よく、あるいは、購買意欲がそそられるデザインにすればよいのに、なぜ店主は一向にパッケージデザインを改善しないのでしょうか。デザインが格好よいことに越したことはありません。しかし、心のどこかで「飲食料品に過剰包装は必要ないのでは」、「飲食料品は限りなくシンプルなデザインで、出来るだけ短い移動のなかでお客様のもとに渡るべきだ」と考えてしまう自分がおります。うちは道の駅でよくお味噌を買いますが、実際美味しくてファンになったお味噌は、透明なナイロンの袋に詰められ、品目表示のシール1枚と口は輪ゴムで止められているだけのもの。そのお店が商品の回転が速い実力店だからこそ、私にはその簡易包装が潔く映るし、飲食料品、特に日常品はこうであるべきだよなと内心思ってしまいます。更に言うならば、近所の豆腐屋さんには家の鍋を持って買いに行く、この感覚が日常品の究極だよなと。時代がずいぶん違いますけどね。とはいっても、現代はギフトも大事な商品。もうお察しの通り、視覚効果により満足度を高めるといったねらいが、店主の私には欠落しております。この欠落している部分をスタッフの女性陣に補ってほしいものです。
ただ、本心としてもうひとつ、デザインをシンプルにしてしまう理由がございます。もし、コーヒー豆をプレゼント用ではなく自宅用として選ぶとするならば、視覚効果ではなく、実際の私たちの商品説明や1杯の試飲サービスが選ぶ基準になると考えております。それは決して単発の場面ではなく、過去から続きのあるストーリーです。一般的な商品の選び方によくあるような陳列棚の小さい文字を見て選ぶのではなく、眼鏡の専門店のようなカウンセリングによって、商品を選んで頂く感覚。このような意識のため、今のところ当店はネット通販を行う予定はございません。
嘘臭く聞こえるかもしれませんが、私は少なからず、各コーヒー豆ごとに、その豆のファンでいらっしゃる方のお顔、それも納得されるお顔を想像して焙煎しております。だから、集中します。私にとって、お客様のお顔が頭に浮かぶということは、目先の売上よりも誇れることなのです。下の写真をご覧ください。
毎週のように通って下さる、あるお客様のパッケージです。毎回新品のパッケージでは勿体ないからと、パッケージにタグを貼れなくなるほど再利用して下さいます。他にも、ビンやブリキ缶などの保存容器を持参して下さるお客様が多くいらっしゃり、私たちは感謝しきれません。
デザインはとても大事ですが、そこに固執するのではなく、お客様との見えない「信頼の糸」を、一回のご注文ごとに少しずつ紡いでいく。そして、それがいつしか切れにくい綱になるよう心がける。このような意識で日々営業しているため、ラバーズコーヒーはそう簡単に会津より外へ知れ渡らないと思います。でも、それでいいのです。お互いの顔も知らない広くて浅い認知度より、「信頼の糸」で繋がっているお客様が確かに存在すること。それが当店の財産です。たとえこの会津盆地が閉鎖的でも、当店はお客様史上、価値の高いコーヒー体験を提供し続けること。私はここにお約束します。
Lover’s Coffee