ピアノコンサートの開催にあたり、なぜ当店が横山氏というピアニストへお願いしたのかについて、補足してご説明したいと思います。大まかな経緯は、前回の記事の通りで、以前から私の妻が当店とは全く関係なく、個人的にコンサートの開催を彼にオファーしていたことが発端でした。そこからの物語は「コンサート開催その裏側」をご覧ください。
妻が彼のファンだからお招きした。果たして事実はそれだけなのでしょうか。実は、遅れて彼の大ファンとなってしまった私の、彼に対する憧れや尊敬の念が込められている点も申し上げなければなりません。そこまで私が彼に惚れ込んだ理由。それは、自分の音楽に対して独自性を愚直に貫いていることに尽きます。
彼は日本とポーランドの二つの音大で徹底的にクラシックの基礎を学んだ上で、その土台から羽ばたくように作曲活動に取り組み始めました。静寂さが漂うシックな曲から、ときにはテクノを取り入れたアップテンポの曲までそのジャンルは多岐に渡ります。年齢は30代前半ながら、世に送り出した曲はすでに数多く、彼がいかに覚悟を持って自分と向き合っているのかが各々の作品から感じ取れるのです。
当店を含め、スペシャルティコーヒーを扱う全国のコーヒー店はこう問われるべきです。果たして、自店は他では代替できない唯一無二の存在になり切れているのか。スペシャルティコーヒーはブームかもしれないが、その多くがコピー化されたものとしてお客様に映っていないか。音楽でいう、カバー曲を上手に歌おうとしていることに過ぎないのではないか。どんなに「真夏の果実」をプロ級に歌おうと、サザンの世界観には到底及ばないのに。実際のところ、お客様は各お店のオリジナリティなんて求めていないのかもしれません。ただ、好みのコーヒーが安定して手に入れば、シンプルにそれでよいと。
しかし、私は思います。自分の仕事はどれだけ世の中や地域に貢献しているのか。ここをド真剣に考えるべきです。今まで自分が培ってきた思想や経験、感性の総和が独自性となってどう具現化できるのか。そして、その独自性が独りよがりではなく、お客様に共感されて求められて初めて意義のある商いができるのだと思います。そこが趣味の世界との境界線なのかもしれません。
横山氏はいつも「非競争」の領域に居ます。そこは、相対的な差別化といった枠を超えて、彼だけの世界観しかありません。私や妻をはじめとするファンは、いつも彼の音楽を日常生活に求めるのです。
12月9日、私たちは、彼の表現を肌で感じます。
Lover’s Coffee