12月の営業についてお知らせします。
定休日:毎週水曜・木曜 営業時間:10:00~16:00
短縮営業日:
9日(土)⇒10:00~14:00、
10日(日)⇒12:00~17:00、
年内最終営業日 31日(日)⇒10:00~14:00
9日は、当店の7周年記念ピアノソロコンサートが開催されるため14時閉店、翌日10日は誠に勝手ながら、時間をずらしての営業とさせていただきます。また、今年は31日も短い時間ではありますが、営業致します。
不規則な営業ではございますが、ご確認の上、ご来店頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。
「癒しとエールを。」
高校、そして大学3年生までの間、私はとにかく悩み苦しんだことを記憶している。その当時は、高校まで続けたテニスと大学から始めたあるマイナースポーツが自分の全てであったが、その結果が思うようにいかず不完全燃焼でいることが今でも根底にある。今の歳になってあの頃を客観的に見ると、目標を掲げることだけは立派で、(自己満足の)努力が報われないとひどく落ち込み、自分は何をやっても中途半端な人間だと決めつけていた。
スポーツも学力も3流。そして、将来、自分には何の仕事が向いているのかも見当がつかない。大学に通わせてもらっているから、とりあえず受かった一般企業に就職して、サラリーマン人生を歩むことが大学生の敷かれたレールだと思っていた。
しかし、頭の中ではそう理解しているつもりでも、本心では何かの職人になりたいという、なんとも漠然とした気持ちがずっとあり、それを押し殺していた。若過ぎると考えることが突拍子もなくて、蕎麦職人なんてどうかなとか、とりあえず将来が不安だから日商簿記とか宅建の試験を受けてみようかなとか、頭の中が右往左往して落ち着かなかった。自分はそんな中途半端な覚悟のない男だったから、受けてみた試験は当然全滅。更にマイナス思考は加速する始末。自分にとって、20~21歳の期間は闇であった。特に、子供の頃からスポーツで結果が出ていないことを根に持ち過ぎていて、30代後半となった今でも夢に出る。シチュエーションはいつも決まって追い詰められているのだから面白い。
しかし、私にとっての転機は大学3年生の春頃だった。大学のゼミの一環による、商店街の空きスペースを利用した、学生主体の喫茶店運営の活動に、私は参加した。人数も足りなかったようだし、体育会を辞めてしまって暇だったから。それまでコーヒーなんて牛乳を入れないと飲めなかったというのに。
最初はやる気があるわけでもなく、ただ泳いでいる水槽の魚のように動いていた。いや、金魚のフンと言ったほうがしっくりくるか。ところが、3か月ほど続けていると、心の中に何かヒットするものがいくつもあった。接客の楽しさや注文を頂くことの嬉しさ、コーヒーを美味しいと言ってもらってこそのやりがい。また、大学の近所に男性ひとりが営んでいる自家焙煎コーヒー店があり、そこを豆の仕入先として通い詰めた。そこのマスターの働く様子を観察し続けることで、コーヒー豆の焙煎には職人的な感覚が必要であることも知り、自分の中でピンときた。その当時はスペシャルティコーヒーという単語自体広まっていない時代。SCAJというコーヒー業界の展示会があることも後に知り、興味本位で見学にも行った。なんとそこでは、バリスタチャンピオンシップなんてものが存在することも自分にとっては衝撃で、コーヒー業界のトップクラスを目の当たりにしたことが、穂積昇平という若輩者の心を仕留めた決定打であった。
それから私の頭の中は、独立希望一択となった。店を構えることで、自分の個性を発揮できること。コーヒーは、一生を掛けて追い求めるに値する対象であること。そして何よりも、この琥珀色の飲み物がほんのわずかでも人の心を癒す力があるということ。これらに気づくことで、今まで頭の中で散らばっていた悩みの点の数々が繋がっていったのである。
それからは、喫茶部門に配属となった外食企業と地元(実家)企業で働きながら開業準備をし、7年前にお店を構え現在に至る。
これまでのざっと短い背景の中で重要なことは、ただ単にコーヒーに目覚めたから店を持ったわけではないということ。かつてまで闇の中の私がマイナス思考に陥りながらもがいていたところ、コーヒーに辿り着いたという事実。そんな私だから、美味しいコーヒー豆を提供することはあくまで大前提で、私がコーヒーに救われたように、その先の「癒し」までお客様を導くことが使命なのである。
大なり小なり、人間は心の中に悩みや問題、後悔といった負の何かを抱えている。逆に、何も抱えていない人間など存在しないのではないか。
このような方々の心を一瞬でも軽くさせるようなお店。そんな「癒しの手引き」となるような存在に、まだ当店は成り切れていないだろう。本当に今の自分は本質的な仕事をできているのか、日々、自分自身と面談を重ねていきたい。
いつの日か、何事も中途半端で納得のいっていない自分自身から成長を実感できれば、それは大変光栄な副産物である。
Lover’s Coffee